二人の里人が浄林寺を訪れた時、住職がお茶を炒りながら「空海という僧から伝授されたもので、この葉を喫すると気分が良くなり身体を健康にする」と聞かせれ、二人はこの茶の実を持ち帰り育てたということです。
その後、光明寺の寺園として栽培されていたようで、現在も市内の冠山(かんざん)には、水沢茶の原生地「茶の木原(ちゃのきはら)」(四日市市史跡に指定)として、原木が山林に自生しています。厳正地治で茶樹が栽培されていた記録があったことから、古い歴史をもっていることがわかります。
現在の水沢の茶業は、その後、1804〜1829年(文政・文化年間)頃、常願寺の第七世の住職であった中川教宏(きょうこう)により築かれました。京都で勉学中、宇治の茶園を視察し茶業が有益であることを知りました。お茶の実を水沢に持ち帰り、茶園を拓き宇治より茶師を雇い入れて製法を習得し、茶業の進行に努めたのです。
その後、茶摘子や茶師が数千人も集まり、良質のお茶を作り出そうと技を競うようになりました。白手拭に、赤襷、紺の手甲の摘子は、茶摘歌を口ずさみながら励むほど盛んな時期もありましたが、一盛一衰を経て今日まできたのです。
現在は、機械化が進み、約500ヘクタールの茶園から約2000トンものお茶が生産されています。